しゃけぶろ

日本語教師。タイ・台湾・沖縄あたりを外こもり。国内外ライブレポ。チラ裏的ログ。

聲の形 感想

原作の漫画(全7巻)を読んでから劇場版の聲の形を観てきた。

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7巻ある内容を2時間に収めるのはややきつかったかもしれない印象だ。

原作から割愛された部分も多かった。そのカットされた分をうまくまとめようと

追加された要素もあった。それなので、その割愛分と追加分の確認作業の意味合いもあった観賞となった。

 

 

耳に障害のある女の子がヒロインの話だが、手話がひとつのキーワードとなる。原作では、手話の動きがコマだけでは、わかりにくい部分が数か所あったが、映画ではそのへんは、やはりわかりやすくなっていて良かった。というか、どんな手話なのかを把握しに観に行ったというのも目的のひとつだった。あとは、キャラクターの声が想像通りなのかどうかということだ。ヒロインの妹の声(CV:悠木碧)はドンピシャだったが、ヤンチャな主人公の石田将也のクラスメイトの川井の声(CV:潘めぐみ)は思ったより可愛かった。そして、耳に障害があると、発声に何かしら問題も出て来るが、それをどう表現するかも気になっていたが、見事にヒロイン西宮硝子の声を早見沙織が演じていた。特に、硝子が、石田にいじめられてしまって殴り合いの喧嘩をして「こええおあんあっえう!(これでも頑張ってる!)」と叫ぶシーンが一番見どころではないだろうか。

 

この物語は、非常にいろいろな問題要素をはらんでいて、非常に考えさせられた。障害者への理解不足、いじめ、不登校、学校のあり方はその主成分となるだろう。こういう話を扱うので、当初、マガジン編集部ではこの原作を掲載せずボツとしていたぐらいだ。感動ポルノなのではという批判・論争もあるが、非常に価値のある作品だ。

 

映画を観たあとは、ベストソリューションは何だっただろうと考えていた。

まず、学校の担任が障害者のヒロイン転校してきた時に、その聴覚障害について、クラスメイトにすべて話すべきだった。補聴器の役割すらクラスメイトは理解しておらず、何個も紛失させてしまっていた。

 

もっと言えば、もう学校は必要ないと最近思っている。自宅で、無償配布されたタブレットなどで電子教科書を勝手に読んでおけば良い。質問があれば、SkypeやLINEなどで先生に聞けばいい。これなら、先生の数もぐっと減らせるし、負担もかなり減る。体育も別に公園で隔日とかで遊びましょうぐらいでいいだろう。理科の実験や家庭科の調理実習など、映像だけでは足りない人は、やりたい人だけそういう塾に行けばいい。あとは、やりたいこと、興味あることを極めたらいいだろう。様々な特化型AIの登場、ならびに汎用AIの登場が近いので、半世紀ぐらいほぼ変わってないような内容の勉強の価値がどんどん下がっているように感じる。

作中では、友達の定義とはで主人公が悩んでいたが、ぼっちでも自然だという流れでもいいと思う。学校があるから友達問題が生じてめんどくさい。自宅タブレット学習で、てきとーにネットで遠くのネット友達とゆるく意思疎通するぐらいでいいのではないか。ゲームも同様だ。世界中のユーザとてきとーに愉しめばいい。ついでに、学習ペースが個人に依存するので飛び級・留年制度も導入しよう。学校に行く必要がなくなると、みんな不登校という状態になるので、不登校が問題なくなるw いじめもぐっと減るだろう。

聴覚障害のある硝子も、先生の話が聞き取れず、小テストの範囲がわからず、苦労してたりしていた。周辺のクラスメイトも助けはしていたが、限界があった。これも自宅タブレット学習で解決だ。バリアフリーの意味でも、有効に作用するだろう。